エイドリアン・ブリューのブログから

「Songwriting Goldmine」曲作りの宝庫、というか、金脈とでも訳したらいいか。
そんなタイトルが付けられたエイドリアンの最新ブログ記事


全訳して載せたいぐらい感動した。

息が詰まりそうなほど働いたくせに、今もできるだけスタジオに入って作業を続けている。なぜか? 最近作曲家の金山にぶつかって、無料のビールみたいに曲が湧き出してくるんだ」そうだ。



「意味を感じない」という理由でここ6年ぐらい作曲を止めていたと言うエイドリアン。「ダウンロード文化、考えたくない人達のためにダンス・ビートばかり流すラジオ、そんなものに嫌気が刺していた」プロとアマの境目がなくなり、キャリアを積み重ねてきたミュージシャンほど頭を悩ませる時代だから、彼のようにフランク・ザッパ、キング・クリムゾンみたいなシーンの代表格といえるバンドで強烈な個性とポップ・センスを駆使して活躍してきた人が落ち込んだっておかしくはない。

ところが現在携わっているオーケストラのイベントをきっかけに、作曲が自分のアートの中でとても重要だという事に気づいたそうだ。「それは僕がギターを手にとった最初のきっかけだった。自分の曲を聴いてくれるのが何人いるかとか、誰のトップ100位のリストに入らないなどは関係なく、僕の曲は僕のクリエイティビティの統合だ。僕はもう歳を取り過ぎたわけじゃない。新しく伝えたいこともちゃんとある

よく、フランク・ザッパが僕のことを見つけてくれなかったらどうなっていただろうかと考える事があるんだ。そんな時、出てくる答えは決まって同じだった。貧乏だということはさておいて、誰も僕の名前を知らなくても、何も変わることはない。ごくわずかな人々の為に音楽を続けていたはずだし、誰も聴かない曲を書き続けていただろう。なぜなら、それが僕だから

そして、変なチューニングを思いついたり(今、6弦からD-A-D-E-B-Eらしい)あまり得意でないピアノに向かって新しい発見をしてみたり(コード・チェンジの論理がギターと違うから、頭がメロディーを追うことにしか集中できない。そこが理想なのでちょうどいいらしい)

こうして新たに作曲家としての人生を楽しんでいるようですが、結果は、来年の春リリースされるかもしれない…と締めくくり。

「アルバムを心待ちにしている」といったコメントやRSSのお気に入り記事の登録などで、ファンから温かく迎えられていることがわかる。

結局要約が苦手で、ほとんど訳しちゃった。
書き原稿としても中途半端だ。が。



エイドリアンが6年も曲を書いてないなんて今はじめて知って、驚いた。
バンドものはさることながら、ソロ・アルバムで聴けるポップ・ソングのセンスは相当なものだ。歌声もよく合っている。たとえばジェリーフィッシュと一緒に聴ける(唐突?)絵も描く。ドラムはプロだし、琴も弾ける多才さ。クリムゾンのメンバーのソロ・アルバムは必ず見つけ、トニー・レヴィンやトレイ・ガン、ロバート・フリップなど、メンバーのソロ・ライヴがあると必ず足を運んでいたけど、エイドリアンについてもそれは例外ではなく、サイド・プロジェクトの1つ、ザ・ベアーズというバンドのライヴを観に行ったり、それこそ5〜6年前にトリオで来日したのも前日だかに聞きつけて渋谷に観に行ったぐらい、エイドリアンのことは好きだ。

新しい作品、本当に楽しみ。


時間のない人はここでおわかれ。ありがとう。応援しようねっ。


余裕のある人には、まだもうちょっと続きがある。


ちょうど、昨晩のこと。
アウトプットがなくなるってことについて、お友達と話した。

私の場合はこのブログ。

「私、もう書くことなんにも残ってないんだよ。趣味のブログとはいえ、あまりにも自分の心情をぶつけ過ぎて、今やたぶん親以外誰もみてない。自分が悪いけど、みてない事分かってるとやる気もないし、もう全部自己満足だ。だから少々のことでは、もう書かないんだ」


求められているかどうかはさておき、私は、文章を書くことはとても好きみたい。特にライヴレポートとか、音楽のこと。
比べるつもりなんてないけど、エイドリアン・ブリューの「作曲」と近いのかな。お金や知名度など関係なく、なぜか書き続けている。もしくは、きた。日記帳がシステム手帳にかわり、10年ほど前からオンラインという公共の場に替わった。お金は発生しないが「公共の場」という意識は面白い。読ませようと工夫する自分がいる。ただし、見栄をはろうとする自分もいる。


10年の間には、「まーほったらかしててもいいか(-_-)v」というブランクもあった。
かと思えば、文章がどんどんまとまってきて、書かまいとしても形にせずにはいられないトピックが同時進行で5個、なんてこともあった。ただただ、個人的な内容ではあったけど。石鹸とか警察とか。

今はアウトプット空っぽ。

インプットが必要だ。

それは自分の中で自然にエネルギーがチャージされて、中から出るものかもしれないし

誰かの行動なり言葉なりに心打たれて、突然生き返ることなのかもしれないし。今ちょっとエイドリアン・ブリューに涙が出るほど触発されたから、こうして形にしてる、こういうことかな(笑)。


何らかの方法で溜めていき、もしくは自然にたまり、直接的にでも、熟成させてからでもいい、そうやってまたアウトプットしたいもの、すべきものが生まれてくるんだろうなあ。

その結果、またいやでも書けるようになる、作れるようになるのなら、それはきっとその人に恵まれた力、許された能力なのかもね。


先のことはわからないけど。

++++Now playing....シャッフルモードで良い曲をたくさん ++++

Comments

Popular posts from this blog

RME FireFace UCX 基本の使い方メモ

いいもんみっけた! バークリー音大が無料で提供している音素材

文字通り、翻訳の原点