憂国の音楽人達@麻布十番

水曜日の晩は打ち合わせのため、ボードに(打)と書いておでかけ。
木曜日の晩も(打)と書いておでかけ。
でも…実は、打ち上げ。


大学入学当初から仲良しの友人のつてで、とあるお姉さんと知り合う事になった。で、ちょっとその本の内容にかかわるお手伝いをした、というわけ。それで、打ち上げ。

彼女はやり手のプロデューサー&メタラー&作家&…etc.である。でも進行表を渡された時、「あ、ムリムリ。出ないよ、これじゃ」と即座に思ったのに、予定日に発売された。


しかしねえ、「私こんな本が作りたいの」と、言ったまんまの内容のものが出来上がったから、素直に驚いたよ。だって私は、企画、素材集め、制作、校正…と、基本的に総ての業務に関わる事があるし、それも本1冊まるごとではないのに大変と感じてしまう事もあるぐらいなのに、こう、なんていうか出来るもんなのね。

そういうわけで、本の話から自然と音楽の話になり、日本の音楽シーンの現状に心を痛めつつもなんとかしたい、でもどうすれば…といった会話が延々と続いた。いろんな悪循環、ね。たとえば、

分かりやすいだけで表面的な歌詞の曲が発売される→「分かりやすい曲!」と共感を得る→分かりやすい曲が売れる→どれが良い曲かそうでないかの判断ができない子達が育つ→大人になってプロデューサーになっちゃう→クオリティの判別がつかない曲を売っちゃう


…とか、ね。

実際に音楽制作に携わってる友人は、辟易しているらしい。スキルごとに1から10までのコンポーザーがいたとして、8〜10が誰もが認めるトップ・プロだとすると、あとの2〜7までの区別がつかないような人が楽曲を発注してくるらしい。でもそんな事のために音楽やってるんじゃないんだ。

一生懸命とか、正しいと思える事をやろうとすると、ちょっとめんどくさい。でも、どうにかしたいじゃないか。「やった気」がしない曲を100個作るより、文字通り1つの曲に心を込めていった方が、やりがいを感じる。めんどくさい、そこを「やる」しかない。たぶん、そこにかかってるんじゃないかな。

だからって「完成度の高い曲」もしくは深い音楽リスナーが「良い」と思える曲を作ってばかりでは、「良い曲かどうかわからない」層には届けられない。でも、好きか嫌いかを判断するのはそういう層だ。じゃあ、どうすんの?「ある程度のポピュラリティは必要なんですよね、耳を留めてもらうための」と言うと、わかってくれた。それだって、簡単な事ではない。


けれど、私も音楽の力を信じている。だから、2人の熱い(?)憂慮に、安心した。そう思ってるだけじゃなく、行動を起こしたいと燃えてる人達がいる事に。

きっと変えられるはず。
どうやって?
それは、この時代だから日々変わる。だから難しい。

忙しい毎日よっ。


ふっ、やっと書けた。また仕事に戻る。
少しでも良い音になるように。

++++Now playing.... ミエナイチカラ / B'z ++++

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